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言葉
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言葉について
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年月日
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season
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千両と松
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大昔からなのだけれど、正月を迎えるときに、これが揃っていないと落ち着かない。
これがない年は正月行事をしない年だと思って、する年はどうしても最後の最後でこれを揃えなければ
気が済まない。ぱちっとした赤い実と、かっちりした深い緑の葉のコントラストは、日本人の正月に臨む心をどこか表しているようで、すっきりとしたすがすがしさを感じる。
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2005/1/3
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mono
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ごちゃごちゃ
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気づくと部屋の中がごたついている人間がいるが、私は確実にその人間の中の一人である。気づくと部屋が何種類かのもので荒れ果てており、床が見えない。
そうしてそんな部屋にうんざりしつつ、果ては部屋にいることにうんざりしつつもその状況になれていくというのがそういった人間の大方かと思うが、そういう人間は逆に片付きすぎている部屋というものに拒絶反応を示すようになっていくという事態に陥る。インテリア雑誌のシンプルで美しく片付いた部屋、そういったものを「あー」とか眺めつつ、実際自分がそこにいることを考えると、あまりの片付きすぎさに寒気すら覚えるということが発生しなくもない。それが片付かない言い訳とは無論言わないが。
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2005/1/3
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mono
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ぬいぐるみ
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この年になってぬいぐるみが好きな人間は数多くいるだろうし、買ってしまう人間だって少なくはないと思う。
が、家族ぐるみで買ってしまう人間というのは少ないのではないだろうかと実家に帰る度に思う。
思えば中学の頃、ドイツに家族旅行に行き、そこでシュタイフのぬいぐるみを見つけてからというもの、我が家ではヨーロッパに誰かいく度に、それから国内のぬいぐるみを揃えている店に入る度に精巧で上質でユニークなぬいぐるみを捜し求めるという奇癖が家族全員に蔓延しているような気がする。無論その良いぬいぐるみはセントラルである実家に集中し、自分の部屋には安物の逸品しかないのだが。
それにしても、風邪などで心細くなるとぬいぐるみを買ってしまう奇癖もこの奇癖から発生しているのかなあとたまに思わなくもないが、風邪を引くたびにぜーはー言いながらぬいぐるみ売り場をうろつくのもなあ…なんなんだろうこの奇癖。
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2005/1/3
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